金山剣術稽古会は、杖術と剣術を中心に。 人身事故の影響により電車が遅延したため稽古に遅刻しての参加。 暑さも和らいできたから少しは快適に稽古できるかなと思っていたが湿気にやられて結局大汗をかいた。 杖術は二十連円打を行った。3回までで15まで習ったはずだがどうしても10までしか思い出せない。11から15を復習し、ここからさらに16から19までを習った。 あとひとつでフィニッシュ! しかしながら、前進の技があれば後退の技があるのも杖術。下がりながらの二十連円打も控えている。前後左右自由自在の身体操作と柔らかい手の内。 この先を考えてワクワクすることというのも武術稽古の醍醐味である。 柔らかい手の内といえば、剣術では相変わらず斬割の稽古をした。相変わらずというのは、何だ今日もかという意味ではない。様々な流派研究をしていて常々疑問に思っているが勿体ぶって秘匿していたわりに奥義が「口伝」で伝えられるほど簡単なものであるはずがないと思っている。 基本を重視して修練を積み重ねてきたからこそ、その積み重ねがあるからこそ口伝で伝えられるものであり、その積み重ねがないものにはけして理解もできないし理解できたとしても体現することはできないのだ。基本にして奥義というのはこういう技のことを言う。奥深すぎて毎回同じ稽古をしても毎回気づきがある。 今日は、下半身の溜めや跳躍ではなく、浮きによる推進力を活用した前進の斬割を行った。先生は下半身の浮きと同時に上半身を沈みこませることで丹田のあたりを圧縮するようにして前進する、とおっしゃっていたが、なるほど、浮くのと沈むのとうまく説明できないが、これはもしや浮沈の位(ふちんのくらい)のようなものか。 単に上半身と下半身を折り込んで近づけるというのとは違う。丹田を中心に上半身と下半身を運用するのだ。常に丹田に力が集中するように。何度もやってみるとすごい気付きがあった。 この気付きをもとに水平の抜き打ちをしてみると、いまだかつてない凄まじい抜き打ちとなった。他の技でも試してみた。一人稽古でのこういう気付きというのは、他人が見たら実に気持ちの悪い笑みをたたえていることだろう。 いつもより大分短い備忘録となったが、気づきは多く、客観的に読み返してみると実に気持ちの悪いものとなった。しかしながら、このブログのコアな読者というのはわたしの文章が気持ち悪くなればなるほど、つまりマニアックになればなるほど喜ぶような人たちばかりであるから、これからも、ここだけでは、独善的な自由記述を続けていきたいものだ。
経営顧問
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