主に屋外利用ということで土台用の防腐処理済み注入剤(ベイマツ)を流用した。重量があり安定感抜群だ。 脚を固定する底面の金具にはこれ、シンプソン 2X4金具 リジットタイ RTA12 53-701を4つ使っている。 支柱と脚の固定には TRUSCO(トラスコ) ユニクロワイドアングル 90mm TUWA90
鞘送りを巡る思索
さて、このブログでもお馴染みの金山剣術稽古会で稽古をするようになってからというもの、今までの常識がどんどん覆されていっている。これは大変喜ばしいことだ。 たとえば、鞘から刀を一気に抜いて斬る抜刀術において、今までは鞘引きの有利のため「鞘送り」をすることを常識として習ってきたが、抜き打ち稽古を重ねるうちにどんどん抜きやすさのための鞘送りが必要ではなくなり、また、この稽古会で鞘送りを封じた状態(栗型が帯に懸るくらい目一杯鞘引きした状態)から抜き打つ技を稽古するようになり、抜きやすさのための鞘送りとは一体なんなのかわからなくなってきていた。 この動画は今日の稽古の一部であるが、今確認しても鞘送りなどもはやしていない。(この動画は私の稽古会に参加している人で閲覧許可をした人のみ閲覧可能です。)この時点では鞘送りは必要か不要かはまだ意識していないのだが、この稽古の後にふと「抜きやすさのための鞘送りは不要」という結論に到達した。鞘送りとは何か
そもそも鞘送りとはなんなのか。 とある流派の説明では、抜刀とは鞘から刀を抜く動作と方から鞘を払う動作が半々で成立していると教えている。 本当にそうであろうか? 最初から送ってある場合はこの限りではないが、送るという動作は一触即発の状況下にあってオコリ以外の何物でもない。 これを裏付けるようにまたとある流派では、鞘送りは抜刀と同様にみなし、攻撃して良い、とある。つまり、鞘送りは敵に斬られるので厳禁としている。 だからといって鞘送りのすべてを否定しようというものではない。扱う刀の長さが長ければ長いほど抜くための余白、つまり鞘送りは必要となるだろう。 ここで注意しておきたいのは、長寸の刀を抜刀する場合以外においては抜きやすさ(鞘引き)のための鞘送りは不要ではないか、ということだが、例外もある。前傾姿勢ですでに鯉口を切って抜刀せんと臨戦態勢にある場合だ。 この場合、最速で抜くための構えであるから挙動は引きつつ斬る一つとなる。送って・引きつつ斬るという二挙動にはならない。 つまり、鞘送りそのものが不要なのではなく、鞘を送るという無駄な動作が不要であるわけだ。抜き打ちの優位性とは
そもそも居合や抜刀術の抜刀状態の敵と対峙した場合の優位性というのは、抜刀状態の敵が「振りかぶって斬る」という二挙動を要するのに対し、抜き打ちする場合は、「抜きつつ斬る」の一挙動に近くなるからと言われているが、抜刀状態の敵にしても必ずしも正眼にかまえているわけではなく、上段や八相に構えた状態から一挙動で斬る場合もあるので、かならずしも優位とは言えない。 挙動の読まれにくさ、という利点はあるかもしれないが、鞘送りというステップを加えると一挙動余分になるため優位性は失われる。 したがって、使用する刀や抜刀する状況、状態において適切な鞘送りは存在するが、抜き打つ動作において鞘を送ってから引きつつ斬るという二挙動になることは避けるべし。抜き打ち初学者は送って引いて斬るという三挙動になりがちだ。 適当な鞘送りというのは抜きやすさ以上に、抜刀の速さと威力に関係する。抜刀の速さと威力は右半身と刀、重心と刀の関係性による。 私の場合、畳表を斬るための必要最小限の威力を求めていくうちに無用な鞘送りをしなくなり、つまり最小限の動きで最大限の斬撃力を生むための動きへと次第に変化していき、この気付きに至っている。鞘走り
ここで、「鞘走る」という言葉がある。 デジタル大辞泉によれば1 刀身が自然に鞘から抜け出る。 「下人はそこで、腰にさげた聖柄(ひじりづか)の太刀が―・らないように気をつけながら」〈芥川・羅生門〉 2 出過ぎたことをする。さきばしる。 「まだ―・った事を言ふ」〈鷺流狂・末広がり〉とのことだが、抜刀術をテーマにした漫画の影響か、鞘の内に刀身を当てることで摩擦を利用した「溜め」をつくりデコピンの原理で加速させて抜く、これを「鞘走り」というなどともっともらしい理論が出回っているが、これは「嘘」である。 「溜め」は必要であるが、刀身を鞘内にわざと当てることはない。そんなことしたら鞘が割れてしまうし、何より刃が潰れてしまう。 そうしないために棟(みね)側を強く押し付けるようにと教えてきた居合の先輩もあるが、当時初心者ながら「なに嘘を教えているのだろう?」と不思議に思ったものだ。
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