身体感覚を研ぎ澄ます【稽古備忘録】金山剣術稽古会20180604(杖術、剣術、小太刀、抜刀術)

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【読了の目安 : 4 分】

杖であれ、木刀であれ、居合刀であれ、真剣であれ、扱うものが何であれ最終的にはそれぞれの道具とその操作方法から得られる(気付かされる)身体感覚を探っているのである。

時代がいくらデジタルになろうが、あらゆるものがオートメーション化されようが、我々はデジタル信号としてではなく身体感覚を通じてこの世界と関わっているしこれからも関わっていく。

ここで、身体感覚と言って身体としないのは、テクノロジーの進展により身体と身体感覚は切り離されつつある現実を捉えているからだ。

アンドロイドロボットへの身体感覚の転移は現在盛んに研究されている。この流れは止めようがないし止める理由もない。テクノロジーというのは人間の不足する部分を補助するものから補強するものとなってきており、我々もまたテクノロジーを補強する存在たりえる。

こうした相互補完の関係性により加速度的に人類もテクノロジーも進歩するのであろう。結局テクノジーを生み出す我々自身もまた進歩発展しないとテクノロジーを進歩発展させることはかなわないということだ。

武術を日常に取り込んでいる人の中にはこうしたテクノロジーの進展に対するアンチテーゼや反骨精神によりますます身体にのめり込んでいく人も少なくない。

しかしながら、世の中の流れというのは抗いようのない大きな流れなのであって、絶えず変化し続け永遠であることはない、まさに諸行無常なのであって、我々はその大きな流れに身を任せるほかはない。身を任せるとは言っても舵は取れるしその流れを利用して加速することだってできる。

わたしなら自力で抵抗してその場に居付くよりもその大きな力を活用して自他ともに加速する道を選択する。武術において嫌われる「居付き」とはこういうところでも姿勢として現れる。

私の嫌う現状維持の消極的姿勢というのは「居付き」に他ならないし、現状打破の積極的姿勢は流れを見極め活用する姿勢である。すなわち「居付かない身体」の研究を通じて諸行無常のこの世を力強く生きる方法を学んでいることにもなる。

先日書いた「人は他人にはなれない。ただ自分になるだけである。」という言葉で始まる記事に象徴されるが、中心の取り合いは武術でも人生でも奥義に違いない。

やらねばならぬこと、やりたいこと、期待されていることの三領域の重なり=センター(中心)に「やるべきこと」が立ち現れる。

中心の取り合いが奥義とはそういうことでもある。

さて、今日は稽古備忘録はそっちのけでこの路線で行くことにしよう(今そう決めた)。

この路線とはどの路線なのか甚だ疑問で本人にしか理解できないが、つまりは、武術稽古を無理やり実生活や仕事、特に専門分野である経営に活きる実践活学たらしめようとする積極的姿勢である。

上の「ただ自分になるだけ」というのは、成果創出の黄金律である。成果を生むには強みにフォーカスしそれを伸ばすことだ。不足補うのではなく足るを強化する。

抗いようのないデジタル化の流れにうまく乗るためには、強みを見極め強化する。ここで一口にデジタル化と言ってもそれには大きく2つある。デジタル破壊デジタル革命だ。

デジタル破壊とは、競合でないと思っていたところから突如として競合が現れ既存事業を破壊していく現象のことだ。アマゾンによって多数の小売店や百貨店、スーパーが消えている。ウーバーによって倒産したタクシー会社は数知れず。フィルムはデジカメに席巻され、そのデジカメですら短期間のうちにスマートフォンに市場を奪われた。

デジタル革命とは、上のデジタル破壊に巻き込まれぬよう自ら変革していく現象のことだ。富士フィルムはデジカメに席捲されたカラーフィルム事業からヘルスケア事業へ華麗に転換したし、ゼネラル・エレクトリックは電気機器をはじめとする重工メーカーであったが、今や巨大ソフトウェア会社である。

シリコンバレーで起こる現象は、数年遅れで日本に来ると言われている。デジタル破壊デジタル革命が怒濤の如く押し寄せてくることは疑いの余地がない。

このよう社会の変換期に、機を捉え、社会に有意義な存在であるために何が大切か。

「明日を実現するための第一歩が昨日を廃棄することである。明日新しいことを行えるようになるための前提は、もはや生産的でないもの、陳腐化したものから自由になることである」

P.F.ドラッカー

前例踏襲と成功体験への執着を捨て去り、絶えず自らを変革し、自分で自分を陳腐化させることによって、常に最先端であり続ける。

ここに臨機応変の一つの解がある。

武術稽古をし続ける理由の一つもここにある。私は反省と改善、つまり進歩発展、成長のために動画を撮り、一部を公開し続けているが、これに対し良くも悪くもたくさんの反響を頂戴する。

それらが肯定的なものであれ否定的なものであれ私にとっては有り難いしどうでも良いといえばどうでも良い。

公開された情報というのはその時点ですでに過去の記録でしかなく、ドラッカーの言葉を借りれば陳腐化した自分である。

公開するタイミングですら恥ずかしいものであるから、1週間も経つと見るのも憚られる。そんなものを見て参考にしてくださるファンの方もいれば、叱咤激励を下さる方もいる。

時が経てば経つほど恥ずかしくなるという感覚は紛れもなく自分自身を陳腐化できている証であるから裏を返せば成長実感とも言える。

これは実生活や仕事をしているだけではなかなか実感することはできない。だからこそ武術稽古をし続ける理由にもなっている。

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後藤健太

【サムライ社長】
斬法総合研究所所長/真剣武士道指南役
株式会社コンセプト・コア代表取締役/経営コンサルタント
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