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新年初稽古でした。写真は年末の斬り納めの写真ですが今日は試斬はしていません。鞘の内から抜き打ちで相手の頸動脈を一気に斬る想定です。
さて、真剣で斬る稽古をしていてよく聞かれることを書いてみます。
真剣で何を斬るのか
居合で真剣で斬る稽古などをしていると、「人を斬りたくならないのですか?」とよく聞かれます。
僕も最初はそう思ってました。
けれど、稽古を続けるうちにそんな思いは雲一つない快晴の青空の如く雲散霧消しました。
斬っているのは他の誰でもない、自分自身だったからです。
人を斬りたくなる衝動に駆られる人というのは単に稽古が足らないのかもしれません。修行不足ってやつです。
最強の敵=自分
それにしても、へっぽこな自分、ダサい自分というのは、ある意味他人よりも強力な敵です。なかなか倒せない。
しかしながら、すっぱり斬り捨てられた瞬間にこれほど成長を実感できるものもなかなかありません。
巻藁に弱い自分、嫌いな自分を投影し、一太刀一太刀真剣に斬る。
イメージ(ビジュアライズ)の力は実に偉大です。
イメージの力
イメージ(ビジュアライズ)できるものは実現できます。
イメージ(ビジュアライズ)できないものは実現しません。
思いが実現しないと嘆く人は単にイメージ(ビジュアライズ)していないだけです。
ダイエットしたい!痩せたい!といくら願っても痩せないのは、具体的にイメージ(ビジュアライズ)していないからです。
いやいや、10キロ痩せると数値で具体的に目標設定している!という人がいるかもしれませんが、数字は具体的でもビジュアルではありません。
1億円稼ぐ!と願って稼げないのと一緒です。
ダイエットを成功させるならば、ビジュアル的に腹筋がシックスパックに割れているとか、そのようにイメージします。
日本刀ときいて何をイメージするか
日本刀を見て、または、それで斬るという行為をして、「野蛮」と捉える人はきっと人を斬るでしょう。
それが殺戮のための道具、強い自分を誇示するための道具としか見えてないからです。
逆に、日本刀に対して神聖さや畏怖、尊敬などの精神性をイメージする人は「野蛮」には思わないでしょう。人を殺める道具ではなく自分を高める、もしくは研ぎ澄ませる神聖な道具と感じるかもしれません。
すくなくとも僕はそう感じます。
結局それを見て、または聞いて何をイメージするか。それがなんであるかは人がどうイメージするかに左右されるということです。
日本刀、そのメタファーに秘められた魅力、まだまだ奥深い。
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