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特定の流儀流派に属さず、便宜上属さざるを得ない場合も段位級位には無関心と決めてはじめた古武術の探求も5年目に突入した。
といっても、最初の一年は徹底的な市場調査(見学、体験、取材)であり、実質的には満3年。今年の4月で4年目に突入したところというのは先日のブログ「実戦よりも実践を」で書いたとおりだ。
おそらく本流に近いであろう伝統を重視する流儀流派であればあるほど、御留流といって、他流との併伝を禁止するし、そればかりか交流すらも禁止する場合があり、なかなか同時並列的に検証をすることは困難なのである。
そんな中、特定の流儀流派を掲げず属さず、ただ直向きに己の身体や心と向き合い、武術ではなく武術稽古という行為そのものに注目して活動をしている御仁と出会った。
金山孝之氏である。
氏はあの武術研究者の甲野善紀先生の主催する松聲館の剣術技法研究員に任命されており、独自に金山剣術稽古会を主宰しておられる。その他、Gold Castle 殺陣&剣術スクールを主宰し、高齢者のための剣術教室クラーチ剣術教室の講師を務め、稽古指導で忙しい毎日を送っておられる。
私は氏の主宰する剣術稽古会に定期的に参加することになったのだが、金山剣術稽古会は入門制をとっていない。入会費などないし稽古会に参加する都度参加費をお支払するスタイルだ(定期参加者はディスカウントがある)。稽古そのものを重要視しているからか、氏の稽古研究に一緒になって参加し、共に切磋琢磨するような雰囲気であり、師と弟子というより共に成長する同志のようななんとも心地よい空気感がある。
多くの武道団体にあるような体育会系のギスギスドロドロした嫌な感じは一切ない。
前段が長くなった。
金山氏の稽古会に参加することにした理由はおいおい述べていくこととするが、氏からも許可を得たので毎回の稽古備忘録をここに記録して行こうと決めた次第。
金山孝之剣術稽古会 2017年7月26日(木)新宿スポーツセンター
個人的な稽古備忘録なので間違いがあるかもしれないがあしからず。また以下のメニューは初心者である私個人向けのものであり、先輩方はそれぞれ違うメニューを稽古されている。
2時間の稽古会は基礎鍛錬に始まり、杖術、剣術、抜刀術の稽古を濃密に行った。
基礎鍛錬
- 蟹足
- 雀足
- 蛙跳
杖術
- 本構えからの左右打込
- 下段構えからの突き(中段)
- 本構えからの突き(上段)
- 水車
- 巴
- 四方突き
剣術
- 下段構えからの真向斬り
- 下段構えからの真向斬りの組打
- 右足前八相からの胴払い
- 右足前八相からの胴払いの組打
抜刀術
- 後方突き
- 隅返し
稽古メモ
基礎鍛錬
基礎鍛錬はインナーマッスルに強烈に効いた。日頃筋トレでインナーマッスルも鍛えている私でもまだまだだなと実感させられた。器具を使わない自重トレーニングであるが、筋トレにおいて自分の体重を利用した自重トレーニングは上級者向けであり、初級者中級者は自重よりも軽い重量からトレーニングしていく目的で器具を使うことが多い。ここはとても勘違いされやすい。ダンベルやバーベルみたいにゴリゴリにやりたくない、という人が多いが、自重トレすらまともにできない(たとえば腕立て腹筋ができない、懸垂が一回も上がらないという)人は軽量のダンベルからはじめ徐々に扱う重量を上げていくのが望ましい。やがて自重もこなせるようになってくる。自重で物足りなくなってきたら高重量の筋トレ器具の出番だ。自重トレを楽にこなせるようになるためには基礎鍛錬の継続に加え、もっと減量しなくては。。。
杖術
杖術はそもそも居合・剣術で言うところの気剣体の一致を探る稽古のためにピンときて取り入れたのだが、今日の稽古会に出てその直感は確信に変わった。杖は心身調和の利器であるばかりか、心身不和の調整器具でもあった。無心に習った技を繰り返していると一気にフロー状態またはゾーンに没入していくのを実感する。これは他のどんな武具でも経験がない。杖のそれは段違いだ。ちなみに、杖道や全剣連系の杖術の経験もあるが、これらでは一切味わったことはない。
剣術
剣術は1人稽古が主体の居合をメインにしていたため実はほとんど経験がなかった。当然ながら相手は人間であるので自分の頭の中の仮想敵のようには動いてくれない。仮想敵(イメージ)では自分の意思が反映されてしまうことが強烈に認識できた。偶然性にも似たランダムなシチュエーションに備えるためには、「こうきたらこう動こう」と頭で考えているうちは対応しきれない。まったく出遅れてしまう。こんな打込をしばらく続けていると不思議なことに杖術同様に心が妙に落ち着いてきて明鏡止水のような感覚を得た。相手の一挙手一投足を直視していた目附は自然と遠山の目附になる。不思議なものだ。
抜刀術
抜刀術は抜くことそのものの醍醐味を感じることができた。以前金山氏の抜刀術特別講習会に参加したときに氏がふいに発した「抜き心地」というフレーズが強烈に印象に残っていたために、今日の稽古はその辺を意識していつもより1寸長い居合刀を持参した。その甲斐あってか「抜き心地」を少し体験でき、より長尺の刀を抜いてみたいという欲求が生まれた。稽古における新しい感覚の発見というのは至福の瞬間である。いつも使っているものより長い刀を用いたせいで、左半身の使い方に工夫と進化が見られた。この新しい発見が自身の抜刀術をワンランクレベルアップさせてくれた気がする。
まとめ
居合や抜刀術は、術の体系で分析してみれば、抜いて斬って納めるという一連の技術体系に分解することができる。分析における分解と統合のセオリーに従えば、抜き方×斬り方×納め方のバリエーションにより無数の組み合わせが新たに開発(創造)されうる。
こういうシンプルで本質的なことというのを研究錬磨する場所を私はつくりたい。
なぜなら普遍的で本質的なものしか他の分野や日常生活に活かしたり応用したりすることはできないからだ。
ともあれ、様々な流派への取材や稽古体験による刀法研究や抜刀術の稽古で新しい技を覚え、斬法稽古で試し斬りするという好循環リズムが確立されてきた。
表紙の画像は斬法稽古の一コマ。抜刀術で行った後方突きからの二太刀目。1.5畳巻を一刀両断。斬りかかってこんとする後方の敵に対し水月に突きを加えうずくまったところを袈裟に処した。刃筋が完璧に通った一太刀。
追伸
正直殺陣はあまり興味がなかったのだが、杖術と剣術の稽古を通じて、今までと異なる稽古をすることで新たな気付きが非れる経験をしてしまったので、毛嫌いせずに出てみようと思ったので申し込むことに。
特に衆敵の対応について得ることがあるかもしれないという直感による。
読者の皆様で興味があれば是非。