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運営する斬法総合研究所の社内事業化およびウェブサイトリニューアルに伴い、今まで社長ブログとしてこちらに書いていた武術稽古について会社ブログの方に書いていくことにしました。
ブログの棲み分けを明確化すべく会社ブログの方には主に活動内容について、社長ブログには所感や個人的な思いを綴っていくことになりました。
さて、9日の記事として会社ブログの方に8日(木)に行った真剣武士道の稽古について書きました。ただの実施報告のつもりが、腰腹文化再興に至る話となり、図らずも壮大な展開に。
それは上でご確認いただくとして、武術稽古に関連した雑感を少し。
タイトルにもある通り、武術と武道を私は使い分けていて、武道より武術を好んで使います。それは、武道がやや精神論に偏ってしまっているとの実感から、より身体性を重視して、というくらいの意味合いでしかありません。
これは精神性より身体性が大切と言っているのではなく、精神性の獲得のためには身体性の獲得が欠かせない、ということを言っているのです。これらは表裏一体のものでどちらか一方が欠けても成立しないと思っています。
精神論に偏った道も技術論や身体論に偏った術もいずれも不完全でつまらないものです。
身体論に関する議論や実践がされつくされたのなら、情報発信も精神論の比率を高めていくことになるのかもしれません。しかしながら武術というは生涯追求していく価値のあるものですから、身体性の追求など一生終わることはありませんし、精神性は正しい目的意識を持つことで身体性の向上と歩みを等しくして生成発展するものでしょう。
正しい目的意識といえば、よく「武術に筋トレは必要ですか」、「筋トレをしたいのですがどんな筋トレすればいいですか?」という類の質問を受けることがあるのですが、正しく明確な目的意識を持つ人であればまずこんな質問はありえないですよね。
必要だと思うならやればいいですし、不必要だと思うならやらなければいい。
必要だと思うということは、どこかに不足や未熟を感じたからだと思います。どこに不足や未熟を感じたのかが明確であれば、そこを強化するためにどんなトレーニングが必要なのか、自ずと分かるものと思います。
その場合、たとえば「技が安定しないので足腰と体幹を鍛えようと思いこのような筋トレメニューを考えました。」というように質問内容もより具体的なものへ変わってくると思うのです。
何をするにも正しく明確な目的意識というものは必要と思います。こういうこと言うと堅い事言うなと嫌がられるかもしれませんが、同じことをやっても目的のあるとなしでは得られる成果や学びに歴然たる違いが現れるのは普遍の真理です。
種をまかなければ芽は出ず、葉もつかず、花も咲かず、最終的に実を収穫することができません。にも関わらず、自ら種をまかずして、育てることもしないで、何とか実だけ集めようと右往左往している人たちが如何に多いことか!
武道か武術かなんていう議論は、正しく明確な目的の前ではどうでもいい些末な議論にしかなりませんし、そう大差はありません。正しく明確な目的を持って行えば、どちらを行っても期待する成果や学びは得られるということです。
極論を言ってしまえば、武術か武道かを使い分けているというのは、究極的には単なる「好み」や「嗜好」の違いでしかないと言えるでしょう。
何事も正しく明確な目的意識を持って取り組みましょう。パワーが違いますから。