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7月の斬法講習会。
今回の参加者は居合経験者ばかりで真剣試し斬りは初とのこと。
ざっとそれぞれの技量を拝見させていただき、従来通りの刀法では斬れないだろうこと、それでなぜ斬れないのかを簡単にレクチャー。
そうはいっても実体験に勝る学びはないので、講義は程々に実証実験へ。
まずは今まで通りの刀法でそれぞれチャレンジしていただく。
成功者0人。
なにも珍しいことではない。これが現代居合、これぞ形骸化の成れの果てである。
形式的になって実際的なやりようの部分が退化消滅してしまっている証拠である。
まして、鋳造で作られる同型(同形)大量コピーの模造刀とは違い、真剣は鍛造でつくられ一本一本が個性的でユニークなものである。当然ながらそれぞれに最適な使い方が存在し、一様には扱えない、それが真剣日本刀である。
まずは自分たちが振っているもの何であるのか、そしてそれはどういう性質をもちどう扱うのか、そこに習熟しなければ何をどう扱えばどうなるのかということに想像が及ぶはずがない。
これは剣術に限らない。道具を使うものすべてがそうだ。
この場合、我々が振っているのは日本刀である。日本刀を扱う武術が居合であり剣術だ。模造刀を扱う武術ではない。それは居合でも剣術でもない。したがって、模造刀しか扱ったことがないというのは、居合や剣術の真似っ子にしか過ぎないということを肝に銘じなければならない。
Twitterに自称武術研究者が何人かいる。その中でももっとも有名な一人は居合剣術諸流派に関してああだこうだと大演説しているが、当の本人は真剣どころか模造刀すら持っていないという。それで何がわかるのか知ったかぶりにもほどがある。
百聞は一見に過ぎず、百見は一行に過ぎず。見聞きしたことなど信用するに値しない。
実践の伴わない論考などするだけ時間の無駄だ。
居合剣術を語るのであれば真剣で斬ってみることなしに語るに及ばずだ。
ここまで言い切るには訳がある。
それもたくさんある。
一例を挙げればたとえば刀に体重を乗せるとはどういうことか。
体重が乗っているかのように見えることではない。空気を切ってうまくなるのはこうした演技力だ。ごまかしの技術、まやかしの技術である。
あなたは演技力を増すために刀を振るってあるのだろうか。なかにはそういう人もいるだろうから否定はしない。
刀に体重が乗っているかどうかは斬ってみればわかる。刀法通り振れていてかつ刃筋が通っているにも関わらず斬れないのは体重が乗っていないのだとわかる。もちろん体重以外にも要素はある。
今回の参加者は全員経験者であるしそれなりの修練を積んでいるので初歩的な試し斬りにおいては、その他の要素について無視できるとして、体重の乗せ方を集中的に講義した。
体重の乗せ方とは言い換えるなら重力の威力化である。
重力の方向性をどう操作するかどの方向に威力化させるか、それが武術の肝である。
これらについて詳しくは是非講習会にお越し頂くか、研究会に入ってもらえればと思う。
刀法の真実をもとめるあなたのご参加を待っている。