母校で職業座談会講師〜その3

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*黒板は質問に対する学生の答え。地頭と筋の良さを感じさせます。

 

▼高校時代のこと

高校時代は音楽部に所属、中高共に部長を務めました。体育祭や野球応援では応援団長を務めました。小学校から高校まで12年間、毎年学級委員長を歴任しました。学芸会や文化祭で演劇やミュージカルをやる場合は、主役か悪の親玉で、脇役は一切やりませんでした。バンドではボーカルをやっていました。単なる目立ちたがりではなく、きわめて「戦略的」でした。

1. 音楽部選択の理由と目的

わたしは幼少期より空手をやっていたこともあり、また、通っていた道場に尊敬する先輩がいたことから、ラグビー部への入部を決めていたのですが、結局吹奏楽部(現・音楽部)への入部を決めました。

その理由は、リーダーシップとチームワークを学ぶのに、学校の中で最も部員数が多く、団体競技の吹奏楽部が最適だと判断したからです。

なぜ、リーダーシップとチームワークを学ぶ必要があったかと言うと、わたしは、物心ついた頃にはすでに将来社長になると決めていたからです。

というのも、わたしの家庭は父がずっと勤め人で、わたしと弟は「サラリーマンにはなるな。手に職をつけろ」と教育されてきたのでした。そういうわけで将来は自分で事業を興し、経営者になるものだと思い込んで来て実際そうなったわけです。

結論としてはこの選択は大正解でした。中学、高校と部長を務め、しっかりとリーダーシップとチームワークについて学ぶことが出来ました。加えて、来たる女性の時代に備え、女性の力の活かし方も深く学ぶことができました。

2. 志望校選択の理由と目的

大学は千葉大学工学部デザイン工学科に進学し、建築と都市計画を学ぶことになるのですが、進路を選択した理由は中学校1年時に遡ります。そんなに早くから進路を決めていたのかと後輩たちはびっくりしていたようですが、ちょうどそのころにきっかけとなる体験をしただけのことです。

当時、町の中心は、鹿島神宮を中心とした商店街にありました。バブルが崩壊し、郊外型ショッピングセンターができると、町の中心はショッピングセンターのできたところに移動し、かつての商店街はシャッター街と化して行きました。これは鹿嶋だけの現象ではなく当時日本各地で起きていた現象です。

幼少期に行くとワクワクして楽しい思い出しかなかった商店街が、まるでゴーストタウン化したのを目の当たりにして、多感な後藤少年は心に感じるものがありました。

「この町に元気を取り戻したい!」

こうしてまちづくりや地域活性化に興味を持つことになります。まちづくりや地域活性化はどこで勉強できるのか調べましたら、建築学部に都市計画という学問分野があることを知りました。

政治経済学部など、ほかにもまちづくりを勉強できる学部はありましたが、建築への道を決定づけたのは大学1年生の頃に出された地理の夏休みの宿題です。

興味のある国について調べてレポートにまとめなさい、という宿題でしたが、たまたまスペインのバルセロナを調べることになり、そこで建築家アントニオ・ガウディの未完の大作、サグラダ・ファミリアを知ることになります。

調べてみると、ガウディはその教会を巨大な楽器としてデザインしたことを知りました。そこで音楽と建築がリンクし、さらにその後、友人の影響で哲学などにはまり、ドイツの哲学家ゲーテの「建築は凍れる音楽である gefroreneMusik」という有名な言葉と出会い、進路は決定的となりました。

ところで、学部と学科は決まりましたが、どこの大学に行くかが重要です。経済的理由で仕送りの額が決められていましたから、足りない分はアルバイト費用で賄うとして、それでひもじい生活をせず、学生生活をエンジョイできる充分な経済的状況をつくるために、学費の高い私立大学、家賃の高い東京の大学はあえて避け、千葉、埼玉、神奈川で探すことにしました。当時の学力と照らし合わせ、最終的に横浜国立大学と千葉大学に絞込み、千葉大学に進学を決定しました。

3. 学習方法

高校2年時までは課外活動にばかり精をつぎ込んでいたわたしは、後輩たちに教えられる学習方法などありませんでしたが、唯一、「いつやるの?今でしょ!」で飛ぶ鳥を落とす勢いの林修先生がいる東進衛生予備校に通って、ビデオ学習(当時はVHS)でわからない所を何度も巻き戻して学習できたことが良かったです。

さらに、不思議な事に高校3年の1年間で中学校からの6年分の勉強をした自負があったので、次に「選択と集中」の大切さをお伝えしたいと思います。

4. 選択と集中

頭でっかちはすぐに「どうやるか?」と手法やテクニックを追い求めがちですが、一番重要なのは、「どうやるか?」ではなく、「なにをやるか?」という「選択」であり、それを突き詰めてやる「集中」力です。

林先生に習って、「いつやるの?今でしょ!」を取り入れるなら、「いつなにをやるか。それをどのくらいやるか」が重要です。どれくらいやるか、というのは、どのくらいの時間を費やすのかということです。アリストテレスの言葉を思い出して下さい。

わたしの場合、高校2年生までは勉強以外の課外活動に比重を置きました。24時間は唯一平等に与えられた限定条件です。限られた24時間をどう使うか?が人生戦略では重要ですが、勉強を軽視して勉強しなかったわけではなく、授業に「集中」し、授業以外の時間をなるべく勉強に使わなかったのです。授業以外に勉強時間を確保できませんから、学校は休めません。お陰で僕は幼稚園から数えると中学3年までも11年間皆勤賞でした。高校はやむなく休んだことがほんの数回あったため残念ながら皆勤賞ではありませんでした。

ところで、部活を高校2年生で引退すると、高校3年生の1年間は、まさに受験にむかって勉強の虫と化しました。あらゆる課外活動をやめて勉強のみに集中しました。

5. 勉強以外の独自体験が重要

勉強ができる、とは、一定水準以上の教育を受けてきた人にとっては最低条件です。つまり、勉強ができるだけでは社会に出た時に何も評価されません。何が重要かというと、部活や習い事、文化祭や委員会など、学内または学外で熱心に取り組んできたであろう課外活動です。それが独自体験となって、のちにその人のアイデンティティや独自性を決定づけるものとなります。

先にお話したように、24時間は限られていますから、一日の内に授業以外の時間をどれほど確保して、こうした独自体験が積めるかが、その後の進路を分かちます。

 

 

つづき → 大学時代のこと

 

 

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この記事を書いた人


後藤健太 後藤健太(株式会社コンセプト・コア 代表取締役料理家|包丁を握るコンサルタント)

相模原で、地域に根ざす商店や企業向けの経営戦略と企画開発のコンサルティング会社を経営しています。飲食店が得意分野ですが、美容室やアパレル物販店、介護福祉、児童保育、建築・不動産、医療、製造メーカーなどなど、北海道から九州まで、最近はアジアやアメリカ、ニュージーランドなど世界中から引き合いを頂いています。食べるのが好きで料理人になり、食にこだわりすぎて日本一のお米を生産する変態農業集団Food Ecstasy ”食の楽園”鹿嶋パラダイスのプロデューサーをしています。今年もウマイお米が出来ました。お酒やビールも作ってます。 Web Site : https://ccore.co.jp/  Twitter : Kenta_Goto

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後藤健太

【サムライ社長】
斬法総合研究所所長/真剣武士道指南役
株式会社コンセプト・コア代表取締役/経営コンサルタント
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