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日曜に転倒により負傷した右脛の状態が思った以上に悪く、月曜夜の金山先生との稽古は残念ながら断念。治療と回復に専念することに。
明けて3日火曜日は締切抱えた仕事のため一日缶詰で机にかじりついていた。わたしの本業は経営コンサルタントであるが、もともと建築系の工学修士でありエンジニアリングやクリエイティブ系の仕事も請け負うことがある。とくにビジネスに必要なウェブサイト制作や紙媒体のデザインなど、コピーライティングと合わせて受注することが多い。
そういう意味でコンサルタントでありながらオフィス系のソフトウェアよりAdobeを多用する珍しいタイプかもしれない。
売上を上げるためののツールというのは目的と方法が合致してはじめて功を奏するので、内容の作り込みから完成物のデザインまで一気通貫で任せられるわたしみたいなクリエイターでもあるコンサルタントは、クライアントからするとすごく便利なのだろう。やりたいと思ったらすぐに具体的に形にしてくれる存在、ということか。
経営するコンサルティング会社はコンセプト・コアという社名であるが、なにをやるにしてもコンセプトというものをとても大切にしている。
会社であれば経営理念をはじめとしたビジョン、ミッション、バリューである。それらを総称してコンセプト=世界観としている。
この世界観がはっきりすれば、つまりこれを「あり方」と言うが、「やり方」は自ずと明確になる、というのが私の持論であり、一番伝えたいメッセージでもある。
制作されるクリエイティブ関係すべては、この世界観に基づき、この世界観により串刺しにされたものである必要があるし、そうすることで消費者の心にすっと自然に届くことになる。
さて、今回制作したものはとある飲食店の店舗紹介用巻き3つ折パンフレット。
要望はあれもこれも盛りだくさんの内容であったが、お店の世界観を熟考し、情報や言葉も厳選し、むしろ削ぎ落とすことによってパンフレットを手にとった人の心に突き刺さるものを目指した。
とても良いパンフレットが出来た。無事に入稿して発注をかけられたようで一安心した。
4日水曜日は斬総研事業で真剣背負って都心部へ。研究生の都合でリスケとなった真剣斬法指導を行った。
斬総研で研究指導する居合・剣術・抜刀術はどこの流儀流派にも属さない無印武術だが、おかげさまで世界中で評価され注目されてきているようだ。
最近では私の真剣斬法動画を見て自主練を積む人が世界中で増えてきているようで、なかには練習の成果を動画に撮って送ってくる人も多い。
「先生のその技やってみたんだけどこれでいい?」
という感じだ。いろいろな国のいろいろな言語でコンタクトがある。
3日に1人くらいの割合で弟子入り志願されるが、あいにく斬総研は道場ではなく研究所であり、わたしも師範ではなく所長である。剣を扱う以上一剣士であるかもしれないが、あくまで研究者であるし、武道家でも武術家でもない。
弟子入りなど形式張らずに研究所に研究しにやって来ればいい。研究仲間として歓迎するし、私の教えられる範囲のことは喜んでお教えする。
公開できるものはどんどん公開する。これはわたしのような無所属の縛りのない研究者だからできることで、また、研究者の使命だとも思っている。
わたしの発信したものが研究に値するものならば勝手に影響力を伴って拡散していくだろう。オープンソース化することで全体の底上げを図ろうというわけだ。
ところで、世界中のこうした動きの多くは好ましいものであるが、中にはわたしのオリジナル技を模倣して自分のものかのように振る舞う、つまり手癖の悪いパクリ屋はいるもので、やるならそっくりそのままパクってもらえればわたしとしてももっとパクりようがないレベルに技を昇華しようと思うのだが、問題なのは大抵は劣化版コピーに終始しているということだ。
公開するからにはパクられることは覚悟の上であるし、パクってもらって大いに結構、皆でどんどんその技を進化させてくれれば良い、と思っているのだが、劣化させるのはよろしくない。
是非もっと練習を積んで技を身につけてください。武道武術の世界ではいつも言われることですが、形だけ見様見真似で模倣したところで本質には到達できません。
やるならどういう条件、どういう想定でそれを実現しうるのか、理合や研究テーマまで含めて理解するように努めてください。
わたしの技を見様見真似でやって、最上限の動作で日本刀は斬れる!凄い!と言っている人がいるが、私の意図はそれとは全く逆にあることを理解していない。
私は斬ることを目的としてやっていないし、術なしでは全く使い物にならない、全く斬れないのが日本刀であって、だからこそ術を磨くことが奥深く面白いということを言いたいかもしれないのに、正反対のことを言ってしまう。これは違うのではないか。
斬ることだけが目的ならば斬れる刃物を使えば良い。斬れる刃物という条件であれば日本刀より斬れる刃物は沢山ある。
私はサバイバルしなくてはならなくなったら日本刀など持っていかない。ヘビーユーズに耐え太い木や孟宗竹だって片手でバッサバッサ切り倒せる愛用の鉈ナイフを持っていくだろう。
日本刀にも畳表を気持ちよく斬るために日本刀独特な蛤刃ではなく、刃肉を削いで落とし、刃先をカッターの如く極端に鋭利にしたもの切り専用の刀がある。
据え物斬りの大会や競技に出る人たちがこぞって使用する形状のものだが、私はそういった刀を使用しない。もちろん研究の為の比較検討用には所持しているが、簡単に斬れてしまい術など無視できるので術を向上させる目的では使用することはない。
見るべきところは、斬れる斬れたという結果だけではない。どういう制約条件下でそれを実現しているのか、そのためにどんな術理がそこに存在するのか、そういうところにまで想像力が及ばないとどんどん本質からズレたものが生まれることになる。
真似したりパクったりは大いに結構だか、せっかく真似たりパクったりするなら是非ともそこまでやって欲しいと願っている。