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最初に断っておくとこれはあくまでも個人的な理由であり、少しでも共感する人がいればそれでいい程度のものだ。すべての人に対して当てはまることではないし、ましてツイッター社に対する営業妨害でもない。
ただ、「やめようかな」「やめたいな」「やめるべきだな」と思いったった人の目に止まって参考になりさえすれば良い。
また、やめることになったと書いたが正確には、ツイッターにログインしてツイッター内で過ごすことをやめたのであって、システムの連動によりツイッターに情報発信は継続している。つまりマーケティング的に記事拡散の目的でのみ運用している、ということになる。
さて、本題に入る。
ツイッターをやめることになったきっかけ
やめることになったきっかけの前に始めることになったきっかけを話しておこう。正確には、「再開」することになったきっかけである。
2010年から運用していたツイッターだが、その後ほとんど使っていなかったのを、2017年7月になにやら最近ツイッターが盛り返しているらしいというマーケットの情報からビジネスユースでの活用を模索して再開した経緯がある。
単純な理由で言えば、その後運用してみて、たしかに少しは成果をあげることができメリットを実感できたが、全体としてはデメリットのほうが上回ったのでこの6月で2017年7月に再開してからちょうど1年経つので見切りをつけた、という話になる。
デメリットのほうが上回ったということで、ここからはデメリットの話をする。これはやめるべき3つの理由である。繰り返すが、あくまでもこれは個人的なものですべての人に当てはまるとは限らないし、そこを是正しさえすればメリットの方が上回る可能性はあるが、そこまですることでもないと見切りをつけたまでだ。
ツイッターをやめるべきと思った人々とその理由
私個人が思ったツイッターをやめるべき理由に入る前に、ツイッターをやめるべきと思っている人がどれくらいいるのか少し検索してみるとツイッターをやめるべき理由やメリットを書いている人がたくさんいることに驚いた。
ざっとやめた理由、やめるべき理由を拾っていくと、
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疲れた
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時間の無駄
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肉体と精神(命)の消耗(摩耗)
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感情が揺さぶられる
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無駄な情報にあふれている
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依存症になる
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注意散漫になる
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ネガティブになる
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リアルの人間関係が悪化する
などが主だったところか。
やめてよかったことをざっとまとめて見れば、
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時間ができた
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人間関係が良好になった
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大切な人との会話が増えた
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ストレスがなくなった
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肩こりが解消した
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自己嫌悪が減った
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自己肯定感が増した
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嫉妬心が消えた
などがあった。
まぁ、どれもこれも共感できるが、有意義に活用できている人からすれば「それは使い方(運用ルール)の問題」と一言で済ませられることでもあろう。個人的な理由はここにはないので以下にさっと書いてみよう。
ツイッターをやめるべき3つの理由
①アンチが生まれる。しかもすごい勢いで。
実名顔出しでなくとも利用できる、複数アカウントはあたりまえ、なりすましもやりたい放題、そのような環境ではアンチが生まれやすい。陰口叩くのも悪口言うのも実に気軽だ。すべては匿名性の為せる技、匿名であるがゆえの暗黒面であるが、自分自身に向けたものであればまだしも、本人はそんなことしていないのになりすましをされて誰かを攻撃されたらたまらない。
なりすましは本人の支持者を装って忍び寄ってくる。懐に入り込んで情報を引き出しては本人になりすまして他人を攻撃し出す。攻撃された人は内部事情を知っているというところから攻撃者の特定をする。こうしてなりすましによる策謀により本人はまったく身に覚えのない言動で濡れ衣を着せされ吊し上げを食らうことになる。
結局なりすましが一番のアンチなのであるが、アンチであるがゆえに思想から精神性までまるっきり本人に似せてきて、悪質なものとなるとIPやブラウザまで念入りに偽装してなりすましてくる。そこまでするかと思うがブラウザのプラグインだけでそういった機能が簡単に実装できる時代だ。
しかも、なりすましは大抵一アカウントでは済まない。複数のアカウントで別人になりきっている。私に粘着していた最も悪質ないくつかのなりすましアカウントは幸いにもアカウント抹消になったようだが、そんなもの気休めにしか過ぎないだろうし彼らにとっては注目を削ぐ常套手段だろう。集団リンチでない個人の些細な嫌がらせ程度ではツイッター社への通報でアカウントを凍結することはできない。なによりいたちごっこになるだけで無意味だ。
なりすましにより攻撃された人たちからの報復を本人はまだ受けていないのでこのまま何もなく収束することを願うが、これとわかる火の粉は少しずつ確実に飛んできているので万が一の場合は名誉毀損等の対抗策は用意しておかねばならない。
ただのアンチによる本人に対する批判であるのならまだしも、なりすましは本人の支持者のフリをして本人に近づき本人になりすまして他人を誹謗中傷する。本人は本人の預かり知らぬところで他人に喧嘩をふっかけた形となりわけが分からぬまま誹謗中傷合戦に巻き込まれていくことになる。なりすましは本人の支持者のフリをして本人に寄り添い、ときに本人のフリをして火に油を注ぎ続け、炎上の最前列ベストポジションでこれを観覧する。
②自分の嫌な側面が勢いを増し表に出てこようとする
気軽に意見が述べられる、この気軽さ手軽さがツイッターの人気の秘密であるが、その気軽さや手軽さにより発言も軽薄になりがちだ。今の気分を何気なく呟けてしまうので、あとで見返すと目を覆いたくなるようなくだらないつぶやきでタイムラインが溢れている、ということにもなりかねない。これらのつぶやきの蓄積はまんま無駄な時間であり時間と金と命の浪費以外の何者でもない。
ネガティブな発言というのはそれを見た人の気分も害すがなにより自身の深層心理や潜在意識に最悪の影響を及ぼす。ツイッターにログインしている時間だけ自身の嫌な側面がどんどん膨らんできて憂鬱な気分で満たされていくのを実感する人も多い。したがって前段であげたように「疲れた」となるのであろう。
ネガティブな気分ではポジティブで明るい話題ですらもネガティブに見えてきて、他人の幸せも素直に喜べない気がしてくる。これが限界を突破すると匿名の罵詈雑言となって吐き出されていくことになる。
ここまで行く前に抑止できればよいが、そもそもその努力すら無駄であるからそういう自分を戒めるための修行としてやるのでなければ、はじめからログインしてはならない。
③口は災いの元
言ってしまったものは取り消せない。また、アンチは何を発言しても呼応して反論を示してくるので発言すればするほどアンチコメントも増えることになる。そして彼らはそれを喜ぶ性質をもっている。本人に言えば済むことをわざわざ公開でやりとりすることで世間に晒す目的をもっている。だったら最初から言えない環境をつくって予防すれば良い。
反論を覚悟で言えば、アンチは自分自身が生み出した存在に他ならない。陰と陽、月影の存在でもある。なにか言いたいことがありそれをよしと思わない人がいればそれがアンチとなる。その主張が強ければ強いほどアンチの勢いも強力になる。実名顔出しでは本人になかなか言えないことも匿名性が担保された環境下ではリミッター解除となりやりたい放題だ。
こうした意見に対し真っ向勝負をすることは一見勇気ある行動に見えるかもしれないが、その記録はすべて公開されている。なによりその記録をあとで見返してみても良い気分にはけしてならない。
アンチの意見は気にしないとマイルール化し、特に匿名の意見に関しては存在しないものと扱うのが吉である。しかしながら、反論しないと気が済まない、言われっぱなしじゃ終われない、という気持ちもわからなくはない。
したがって、自分が黙ってられない性格だとわかっている人は、はじめからアンチが生まれやすい匿名性のある環境では発言はしない、これが一番の予防策となる。
まとめ
以上が世間がツイッターをやめるべきと判断した理由とわたしが個人的にツイッターをやめるべきと判断した3つの理由であるが、わたしのはご覧の通り「特別に言いたいことがある人の場合」の特殊ケースであると思う。この特殊ケースはツイッターの活用目的から来ているのであるが、わたしの活用目的で言えば、自身の主義主張を明らかにして発信することは、それに共感できない人からの反感を買うことになる。
それを覚悟で活用するからには、アンチからの反感を受けてもそれに応じないことである。存在すらなかったことにする。ツイッターで情報拡散すれば匿名性の高いツイッターの住人である彼らはそれに反応してくるだろうが、こちらがそこにいなければ見ることもないし反応することもない。やがて彼らは虚しくなって雲散霧消するしかない。光があるから闇がある。光をなくせば闇も消える。
中には、気をつかってアンチの横暴を報告してくれる優しい人達もいる。そういう人たちからの報告は頻繁にあるだろうが気にしてはならない。
大切なのはアンチの存在を認めないことだ。無いものとして対処する。実名も顔出しもしていない日陰者達である。隠れていたいものを親切に見つけてやる必要はない。
もう私はそこにはいない。したがってアンチ(なりすまし)も存在を持続することは叶わない。新たな獲物を見つけるまでは。
なにしろアンチに対応する時間はまったくの無駄である。わたしにとってはツイッターしている時間が無駄だというのではなく、それによって生まれるアンチへの対応に気分を害され時間と労力を費やすこと、それが最大のデメリットとなる。
素性不明のアンチへの対応をしているくらいなら素性が明らかな支持者や大切な人たちとの交流を深めるべきだ。
情報発信をし続ける限りアンチは生まれ続ける。それに不平不満を言ったところで消えるわけでないのだから、それには一切関わらないことだ。それは無駄な時間と労力でしかない。わたしはわたしの支持者や大切な人たちのためだけに情報発信をし続ける。ただそれだけだ。
というわけで、わたしにはツイッターは「言いっ放し(情報発信限定)利用が一番」という結論となった。