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システム思考ワークショップ
システム思考という思考法があります。昨日、システム思考で教育問題を考えるワークショップに参加してきました。システム思考とはなにか?その要諦をつかみたいなと思って参加しましたが、それはピーター・センゲ(マサチューセッツ工科大学上級講師)が、1990年に『最強組織の法則』(The Fifth Discipline)として発表されるずっと以前に、日本の城野宏が脳力開発において1969年にすでに提唱していた思考方法(基礎部第2面思考方法の整備)に考え方の類似点を見つけられました。
経営戦略と企画開発の株式会社コンセプト・コアでは、経営理念の中に脳力開発の16項目をバリューとして据えて常日頃から行動規範・行動習慣として実践しています。また当社の経営コンサルティングにおける問題解決のアプローチも一部脳力開発をベースにしていますから、呼び方や捉え方がやや難解に感じられたものの、その要点を掴んでしまえば、なるほどと理解できるものでありました。
システム思考についてはネット検索してもらえればたくさんの情報が出てきますし、本もたくさん出ていますので、そちらで勉強いただくとして、ここでは参考までに脳力開発入門(非売品)より関連箇所の抜粋を掲載しておきます。
脳力開発を学んでみたい人は、Amazonマーケットプレイスで脳力開発のすすめ〜誰でも素晴らしい頭になれるをお買い求め頂くことができます。また、当社が拠点を置く相模原の橋本図書館には蔵書してあり借りることができます。近隣の方はお借り求めいただくことをおすすめします。
脳力開発のすすめ
***以下抜粋***
第6章 基礎部第2面 思考方法の整備
6章-1 常に中心的を明らかにし、中心・骨組みで考える習慣をつくろう
■「つかむ作業(前半)」と「計画する作業(後半)」
思考方法の面で、まず最初の土台習慣づくりは、「何に対しても、いつでも中心部分を明らかにし、中心と骨組みで物事を考える」という点です。「物事を考える」という場合には常に、(1)すでに在る物事を「つかむ」という前半の段階と(2)これからの物事を「計画する」という後半の段階とがあるということをまず意識しておいて下さい。それでこの第1項で言うところの習慣づくりも、前半の「つかむ段階」では「中心点をつかみ出す」という内容になりますし、後半の「計画する段階」では「中心点を決める(確立する)」という内容になります。
■訓練でしか上達しない
まず、前半である「中心的をつかみ出す」というのは何か、ということについて、ごく簡単に触れておきます。「中心」というのは、全体に対して最も支配的な影響をもっている要素やポイントということで、それが動くと大勢が動き、それが片付くと大かたは片付くといったような性質のかなめです。これは抽象的な言葉や一時的説明だけですぐ分かるような代物ではありませんので、何回も何回も色々な対象で場数を踏んで具体的に訓練する必要があります。それ以外に実際に進歩する道はないわけです。
■主なブロック(要素)に分ける
一応の参考として説明しますと、ひとまとまりの全体の中心点を浮き彫りにするには、まずその全体をいくつかの主なる部分やブロックにわけます。
次に、各部分、ブロックにはそれぞれまた中心部がありますからそれをとり出します。そして、その中心部どうしの間の相互関係をきちっとつかみます。この場合に、それをできるだけ立体的な関係としてのつながりで見てとるような練習をします。
次に、それらのつながりの中での一番の中心部はどこかを明らかにしてみます。これがほぼ全体の中心点でありますし、またこの作業によって全体の骨格は大ざっぱに把握できたことになってしまいます。
なお、その各部分の中心点がつかみにくい場合は、それをまたさらにいくつかの小部分に分けて上記と同じ作業をやってみれば、ある程度つかめるようになります。
■目的・目標・方針
後半である、「中心点を決める(確立する)」というのは何かといいますと、簡単には、目的・目標・方針をしっかりと決めることです。目的・目標の確立とその「決心」というのは人間が何かまとまった行動をしようとする際の脳の中の「統一指令」であります。この統一指令が継続的に無いと、人間の頭は本格的に、効果的に動かないようになっているのです。
■うまくなろうと思わなかったからだ
ここにAさんの例があります。Aさんはサラリーマンですが、約10年ほどのゴルフ歴をもっていました。しかし、大してすぐれた進歩はせず、長い間ハンデは30のあたりで低迷するようになりました。
Aさんは、ゴルフの上達だって脳の使い方の問題によるのだと知る機会を得てから、改めて考え直してみたのです。
そこでAさんは、今まで大して上達しなかった最大の原因は、自分自身で本当に上達しようという気がなかったことにあると気づきました。
その結果、ここは一番、自分の努力で必ずうまくなってやろうではないか、と強く決心しました。つまり目的意識をはっきりとさせ、意志確定を強固に確立したというわけです。なんと、それだけで、Aさんのゴルフに対する態度も頭の使い方も成果もすべて変わってくることになりました。
■各ブロックの中心をつかむ練習
Aさんが具体的にまずやったことは、ゴルフというものの一連の流れについてつかみ直すための思考整理でした。これは、前述した「少数の主なブロックに分けて各ブロックの中心点をつかむやり方」をしたわけです。そうして、自分なりにつかんだ各部の中心点を自分の身体でマスターするためにAさんはそれに集中して練習しました。土曜、日曜に合間を見て行う練習でしたが、そのように真剣に重ねたところ、わずか半年余りの間にAさんのオフィシャル・ハンデはなんと30から15にまで一気に縮まってしまうほど上達してしまったのです。
■何にでも共通する土台
たかがゴルフの話ではないか、と思うなかれです。これは何にでもあてはまる土台の問題なのです。目的・目標といった中心部の決心こそ、人間の思考力や知恵というものを発揮させていく最大のかなめにほかなりません。
そしてまた、中心点の把握という作業が整理の根本であるのです。実にこれらの簡単な土台が人間活動の動向と成否を支配してきます。げんにAさんもゴルフの体験をとおして確立していったこの土台の習慣づくりによって、仕事や家庭の重要な分野においてもぐんと進歩発展を遂げ、基本の実力増強につながる結果となりました。
■戦略と戦術の区別整理
ここで少し固い言葉ですが、「戦略」と「戦術」という用語をご紹介しておきます。戦略、戦術については応用編で詳しく説明しますが、これは私達の脳力開発における整理のやり方として最も重要な位置を占めるものなので、基礎編においても、ごく基本的な理解だけは必要であります。それで、以下に述べる程度に関して、とりあえず頭に入れておいていただきたいと思います。目的・目標といったものも大小様々無数にあり、このうち互いに関係のあるものをまとまりとして集めると、ある種の「群」をなすわけです。
■計画する作業の中心部
こうした、ひとつの体系的なまとまりをもった計画や組み立てにおいて、最も中心的な位置にくる目的、目標、そして方向づけといった根本レベルの考えを私達は「戦略」と呼んでいます。
その戦略に対して、手段としての性質を持つレベルの考えの方を「戦術」と呼んで、この両者を区別しています。「戦略」というのは、一連の判断や思考の流れにおける中心部になりますから、戦略の確立、そして戦略と戦術の区別、といった点は、この第1項で主張する習慣づくりの重要な一部となってくるわけです。
■戦略とは
ここで、体系的な計画の中での、「戦略の部分」と「戦術の部分」との間の境界線についてこだわる人が結構おられるのですが、その客観的な定義が厳密にあるわけではありません
。一応、大まかに、「戦略」というのは目的性、方向性の考えの中でしかも原則性をもつものであると理解していただければ結構だと思います。「原則」というのは第5章の第3項で説明しましたが、要するに「容易にゆずらない、容易に変更しない水準のもの」という意味をもちます。そして、戦略に入らないものは戦術という事で考えて下さればよいと思います。その戦略、戦術の実例のひとつをごく簡単に説明しますとこんな感じです。
■根本方向の二者択一
Kさんは、自動車教習所の関係の会社をやっていましたが、東京都の近郊にあるA教習所と提携して都内の教習所がいっぱいのために入学できないで困っているお客さんに合宿によるカリキュラムを紹介して、A教習所に参加してもらうという販売形態の新事業を展開しました。ここでのKさんの役割はその営業面です。これはなかなかうまくいって、お客さんの数もどんどん増加し、A教習所もかなり拡大するという成果をあげました。
ところが、2年半ほどした頃、A教習所のサービス内容が低下し、お客さんから苦情がたくさん出るようになったので、KさんはA教習所のA社長に改善を要求したのですがA社長は聞き入れません。
そこでKさんは他の教習所と関係を新たにはかろうとしたところ、A社長から「君はうちとだけ付き合っていればよろしい。もしほかと取引するようなら、うちは君のところと付き合いをすべてやめにする」と言われたのです。ここがKさんにとって正念場でした。
Kさんはここでまず自分のK社の「戦略」を考えて決めなくてはなりませんでした。ここでどうしよう、こうしようというこまかいやり方の考えは「戦術」の方であって、これは戦略を決めたのちそれに従っていくというやり方でないと本当は決められない性質のものなのです。「戦略」の方は進むべき大方向の選択が中心になるわけです。この場合では「K社の進み方として、A社の言うなりにそのまま続けるか、それとも改善と新たな拡大をはかっていくか」というどちらを根本方向として二者択一するかが、まさしく戦略のレベルの問題なのです。
Kさんの事業の目的は近所の教習所に入れなくて困っている顧客を助けることにあるので、その中心の目的からして、このままではいけない。A社のサービスの改善をはからせ、しかももっとたくさんのお客さんが参加できるように体制と営業の拡大をはかるという方向を選ぶべきだ。ということになってK社はそれを戦略として決定しました。A社とのパイプ一本で来たK社にとっては死活問題になりかねないだけに、重大な決心なのです。
■戦術の方針
その「戦略」に対し、どのように具体的にそれを達成していくかという手段方法が「戦術」ということになります。
Kさんのとった戦術は、ほかの近郊の教習所5軒と新たに提携し、そこでお客さんをどんどん消化できるように新たな体制をつくりながら、お客さんの数もどしどし増やしていったのです。この際、途中でA社にそのことがわかってしまうとはずみで本当にA社から取り引きをやめられてしまう可能性もある。そうなるとK社はただちにごはんが食べられなくなるような危険性もある…それで徹底した「隠密作戦」を、戦術を展開する上での基本方針にしたわけです。
こうして、半年あまりで、A社との提携で消化している客数とほぼ同等規模の客数の新体制を新たにつくり上げてしまい、その実績をひっさげてKさんはA社長に改善を強くせまったのです。これはもうA社長の負けです。A社はKさんの要求を聞くことになり、Kさんの戦略は達成される結果になりました。
■戦略とは行動追求
この例で大事なことは、「戦略」をまずしっかりと決め、それを容易に変えない「決心」として据えたということ、そして「戦術」はすべてそれの達成のために細心の注意を払って綿密に考え、そして実行の行動を着実に重ねていったことです。
ここに、「戦略」というのは、単に言葉を並べることではなく、行動の追求と積み重ねを絶対条件としていることを承知しておく必要があります。K社の戦略も、言葉で言うだけではなく、もし、A社やその他から、強力な妨げや圧力があってもそれに屈せずにその方向へ向かって断固として前進する行動の積み重ねがその大前提なのです。だからこそ「戦略」の必要性、重要性があるのです。
■普通のけんかはすぐ片付く
たとえば、夫婦げんかなどに際して、改めて「互いにますますけんかを激しくして、ついには決裂、離婚にもっていく方向を選ぶか」、「それともしだいに仲直りして円満な夫婦関係として互いに協力しながらよい家庭をつくっていく方向を選ぶか」、「その根本の選択を先にハッキリすべし」という形で、「戦略」の決心を中心にしっかりとすえてしまうと、夫婦げんかなどはたいがい決着がついてしまいます。私達のまわりにはそういう実例がたくさんあるのです。
■やってみれば分かる
これも「戦略」の問題でありますが、これが、まさしく「これからどうしていくか」を考える際の絶対的な中心点にほかならないということを、読者の皆様も色々と実際にやってみられるとよくおわかりになると思います。
以上のように、いつでもいかなる対象に対しても、「物事の中心点をつかむこと」、「目的、目標を必ず明確に決めること」特に「戦略という根本の決心を先にはっきり決めて、それはころころと簡単に変えないこと」この辺が、この第1項で言おうとしている土台の習慣づくりの内容であります。
6章-2 常に両面とも考え、どちらが主流かも考える習慣をつくろう
■よい評価から悪い評価へ極端に変わる
ある嫁と姑の例なのですが、嫁さんの来たての頃は双方の間はうまくいっており、互いにとてもよい人というふうに認め合っていたのです。
ところが、しばらくすると互いに嫌な人物だというふうに思うようになり、冷たい戦争が始まり出しました。互いにめんとむかってがんがんけんかするわけではないのですが、つんとして互いの間はよそよそしくなり、よそへ行くたびに、盛んに互いの悪口を他人に言ってくるような関係になりました。よく思いあっていた時には、ほめすぎと思うくらい互いに相手のことをよそでもほめていたのが、わるく思いあうようになった時には、けなしすぎるくらい互いに相手の悪口を他人の前で言ってけなすのです。
■片面にかたよる
どうもこれが極端な感じなのです。これはどうみても、「最初のうちはよい点だけが目につきそれが相手の全人格だとばかりに思っていたのが、今度は反対にわるい点だけが目につき、それが相手の全人格だとばかりの思い方をしている」としか言えないような内容です。
この嫁さんも姑さんも明らかに、いわゆる「片面思考」の傾向が大だといえるだけの思考の特徴をもった人です。ですから、人に対する見方や評価ばかりでなく、何かやろうとする際にも、一方的に都合のよい点ばかり考えてしまうか、あるいは逆に一方的に都合のわるい点ばかり考えてしまうかするような傾向が強く、そんなものだから、物事をきちっと処理したり、うまいこと進めたりする力が乏しいのです。
■片面思考の特徴
おそらく世の中一般において、最も頻繁にある欠陥的な思考習慣は、この「片面思考」あるいは「一面思考」といわれるものだと思います。これは文字通り、物事の片面や一面だけを見たり考えたりしただけでおしまいにしてしまう思考習慣のことです。何かの情報を耳にすると、あるいは、一部の印象を強くうけるとそれがほんの一面やごく局部のことにすぎないのに、あたかも全体や全面を示しているような気になってしまう癖などこの典型です。やたらに一喜一憂するタイプの人も、基本的にはこういう習慣にもとづいていると言えるでしょう。
■両面とも事実なのだ
「白熱した議論」をかわしているが、いっこうにらちがあかない、というよくある場面の中のひとつの典型的なタイプに、「互いに、ひとつの物事の片面の事実を言い張ってそれで対立している」というのがあります。これも片面思考から出発しているがゆえの現象です。つまり、自分の主張している事実がその対象の物事の全体をあらわしていると思い込んでしまうために、互いに相手の言っている事実を否定しようとする結果になるわけです。
ところが、客観的には双方とも事実には違いないのであって、ただ同じ物事の異なった面を指しているだけの話にすぎません。
■どんなものにも両面あり
物事の「互いに反対の両面」とは、表があれば裏がある、右があれば左がある、押す方があれば引く方がある、なぐる方がいればなぐられる方がいる、といったことで、これは根本的性質としてどんな物事にもある構造上の法則です。
ものの本質が、こういう具合にプラスとマイナスが組み合わさって同時に存在ことになっていますから、ひとつの物事を見る場合、いつでもこの両側面を見ていかねばならないわけで、こんなことはあまりにも当たり前のことなのですが、実は日常生活の中でころっとぬけてしまうのです。
だから、片面思考と反対の「両面思考」を本当の土台習慣としてがっちりと築いていくためには、どんな場合でも、何に対しても、「その両面ともだきあわせのセットとして見たり考えたりする」ような意識と訓練が必要になります。それは、たとえ「無理してでも」やらなくてはなりません。
■両面を知らぬと真の認識にならぬ
ですから、同じ点を出されたら、必ず違う点も考えてみます。そして両方をセットとして頭に入れます。損をしたら、得をした方は?とすぐ考えます。怒っている人がたくさんいると見たら、喜んでいる方の人は?と見てみます。
たとえば、「これこそ適切なやり方だ」という内容を真に習得するためには、「そうしない場合にはまずくいく」という方の実際的な内容も同時に理解していかないと、本当に適切な値をつかんだことにはならないのです。だから「失敗」も重要です。
■最初はあまのじゃくでもよい
たとえば、ただ「でしゃばりだ」と思うだけではなく、その同じ点についても裏側の「積極性」を同時に考えてみる必要がありますし、逆に「ひっこみ思案で消極的だ」と思う際には、同時に「慎重さ」、「丁寧さ」なども考えてみる必要があるわけです。
こういう両面セットとしての思考訓練は最初はあまのじゃくな傾向ではないかという気がしたり、また、わざとらしい感じがしたりしてもよいから、ともかく自分に強制していくことです。そのうち、だんだん自然な感じになってきます。
■両面はふつう、対等ではない
さてここに、もうひとつの重要な件があります。それは、両面とも考える際には必ず「どちら側が主流か」ということも同時に考えるという習慣のことなのです。
片面しか考えない人にとっては、どちら側が主流かなどという問題は最初から成り立たないわけで、これは両面とも考えるからこそ発生する問題です。だから、ただ「両面とも」とだけ表現した時にも、必ずその点を含んでいっているのだということを承知しておいて下さい。
■「判断」の必須要素
全体を考える、全面を見るという時には、この「どちら側が主流か、どっちが主たる面か」という検討をぬきにできるはずがありません。
つまりこれは、「判断」という仕事での必須条件のわけです。さきほど議論の例が出ましたが、どちら側が主たる面かを客観的に検討していけば、議論としての意味ももてるし、意義のある決着がつけられることになります。
■目立つ方は少数部分
物事、出来事の中には「目立つ部分」というのがあります。通常の場合は、「目立たない方の部分」こそ主流面だと言えます。なぜなら、ごく少数部分、例外部分だからこそ目立つことになるのであり、また逆に圧倒的に多数を占める部分だからこそ目立たないことになるからです。
マスコミやジャーナリズムという世界では徹底して「目立つ方の例」を取り扱います。圧倒的多数の例とか、ごく通常のありふれた例など取り上げてみても商売にならないからです。その点を、けしからんと非難しても始まらぬことで、読む方がそれを十分に承知して読めばそれでよいことですし、また必ずそのようにして読む訓練をつむべきです。これは脳力開発の重要な実施のひとつです。
■報道は少数例を扱う
たとえば仙台で地震発生というニュース報道では、無惨な破壊状況の写真が大きく紙面をかざり、記事の方も大変な状況をたくさん紹介する事になります。これが表面的な印象だけで流されますと、何だか仙台全体が壊滅的な被害にあっているかのような錯覚におちいってくるわけですが、そこに出されている被害の事実が全体を示すものだと考えてしまうタイプが片面思考なのです。被害の局部は確かに事実ですが、これは目立つ部分で、全体の中ではごく少数部分です。そして何ともない静かな方こそ目立たない圧倒的多数の部分であります。
■最初からそのつもりで読めばよい
そのように見ていれば、たとえば、キャベツの値段がひどく上がった、という記事は、同時に、他の野菜はそう大して値上がりしていないことをも表現しています。目立つ方の事実が出されれば、その反面が目立たない方の側ですから、そちらが主流部分としてだいたい見当がつくわけです。つまり、新聞その他の報道は、その両方とも同時にあらわしているのだというふうに最初からわきまえてそのように読みとっていけば大変有用だということになります。
6章-3 立場・観点を整理し、多角度から考える習慣をつくろう
■「立場」という整理は役に立つ
「私の立場にもなってみて下さいよ」とか「相手の立場で考えなさい」といった表現は昔から頻繁に使われてきました。しかしあまりにも耳慣れた言葉なので、そう言われたからといっても、とりたてて何の感じもおこさないというのがむしろ普通かも知れません。
しかしながら「立場」という言葉を、慣れすぎた単なる「きまり文句」ではなく、一歩前進してその具体的な中身を十分にもたせた「思考の用語」として、考え方の整理のために使いこなすと、これが実に有益な力を発揮してくるのです。しかもこれは、土台の思考習慣にすべき、とても重要なものです。
■一方の角度だけで終わらない
それでは「立場」の具体的は中身とは何かを、これから簡単に説明していきます。
たとえば「嫁の立場」という場合には、姑の立場とか夫の立場とかいう別の角度が前提にあるから初めて成り立つわけで、その前提なしに嫁の立場を切り離してひとつだけ言ってみても意味がありません。
つまり、立場というのは「複数の要素の間の相互関係」を整理して考えるというところに大切な意義があるのです。この点がまず前提にありますから、この当たり前のことを改めてよく頭の奥において下さい。
というのは、その意識がしっかりしていると、それだけで「ひとつの角度だけ考えておしまい」になることなく、重要な要素を欠かさずにちゃんと考えるような習慣へとつながっていくからです。
■「立場と希望」
立場という用語の中身を、一番簡単に集約すると「希望(利益)」ということになるでしょう。
つまり、「こうしたい」という行動の内容がその人の立場をあらわしているのです。
ですから、立場というのは必ず希望をもっているし、逆に、希望はある立場をあらわしているということになります。
「相手の立場にたって」というのも、そのように相手の具体的な希望(利益)の中心点を具体的に考えよ、という内容をもっています。それもただじっとすわって空想的に考えるというだけではなく、行動の中で考えよということが前提になっている点をよく承知しておいて下さい。
■「立場」も行動が前提
T美容室では、以前から、盛んに「お客さまの立場に立って」という言葉を使ってきたのですが、あまり効果が出ませんでした。
そこで、それを「お客さまのとる行動をとってみながら、そこでお客さまの希望と利益を具体的に考えてみよう」という内容をもたせることにし、皆でそれを実行するようにしました。
そうしたら、それまで気がつかなかったことにたくさん思い当たるようになりました。たとえば、お客さまは毛髪の処理のどの工程で気持ちよく感じ、どこで気持ちわるく思うか、機械装置のわるい点がどこにあるか、待合場所の具合は適当か、トイレやその他の隠れた所にあるサービス・ブロックの整備は適当か、伝票や事務システムが不便でないか。様々なことが、お客さま中心の観点から見直され、考え直されるようになり、具体的にどしどし改善していくことになったのです。
これは当然お客さまに大変喜ばれる結果となり、営業成績につながっていったわけです。と同時に、そういう思考や行動の習慣づくりは従業員どうしの間の協力関係や組織力の向上に大きく作用していく結果もうみました。「立場」という思考の整理は、本来、こういう行動中心の内容をもっているのです。
■立場と戦略
立場によって希望、利益が異なるということは、立場によって価値の内容が異なるということです。これは同時に次のような点を含んでいます。
「立場によって主張、意見が異なる」
「立場によって評価(よしあし)が異なる」
「立場によって進行方向とルールが異なる」
ということは「立場によって戦略が異なる」という意味もあるわけです。以上の点を頭に入れておいて下さい。■立場と衝突
これらのことは、当然立場どうしの間に衝突がうまれることを意味します。
逆に言えば、衝突というのは立場と立場の間のぶつかり合いであるということです。
私達は、衝突の問題では必ず「何と何の衝突か」という指針から、そのぶつかりあいの具体的な内容を整理して中心点をつかむ作業をやります。その具体的な内容というのは、立場のもつ中心の希望と行動方向(戦略)を明らかにすればつかめるわけです。
■現状維持と現状打破
2つの立場のぶつかり合いの中で最も基本的なのは、「現状を変えようとする立場」と「現状を変えまいとする立場」との間の衝突です。固い言葉で言うと、現状打破の立場と現状維持の立場であります。途中の言葉や理屈のやりとりが一見複雑そうに見えたりしても、中心をつめていってみると、この2つの方向のぶつかりあいだというケースがかなり多いのです。
ですから、衝突問題ではまずこの観点から各立場をふりわけてみると整理がやりやすくなります。前述の、自動車教習所のKさんの例でも、やはりこういう衝突の問題でした。
■結束した方の勝利
このケースでは、A教習所のA社長は「このまま今までどおりやって欲しい」という希望のもとにそういう行動を貫いていました。つまり現状維持の立場をとったのです。これに対し、Kさんの方は「このままではいけない。サービスの改善をはからせ、もっとたくさんのお客さんを消化できるように営業も受け入れ態勢も拡大させたい」という希望のもとにその行動を追求しました。つまり現状打破の立場をとったのです。
そしてKさんは、A以外の5つの近郊教習所に現状打破の立場をとらせる(協力させる)べく努力し、結果は現状打破の側が結束して勝利し、その目的を達成しました。
■利益追求は立場をあらわす
「何を擁護し、何をたたこうとしているのか」という具体的な希望と行動の内容(方向)がひとつの立場を明確に示します。
だから、これまで説明してきた点も基本においていただいて、問題とか出来事に対し、いつでもそういう観点から「立場の整理」をやる練習をしてこの習慣をつけてしまう。それがこの第3項で言おうとしている習慣づくりの訓練であります。
これは、まず自分が直面しているような身近な問題を中心にして訓練し、それに世間の一般的な問題なども対象材料として加えて練習していけばすぐ慣れてきます
■まず、立場の整理をやれ
たとえば、毎年その季節になると問題としてさわがれるプロ野球のドラフト問題とか、成田空港をめぐる問題とか、交通問題とか、世の中にはたくさんの問題がありますから、そうした訓練の材料には事欠かないでしょう。こういう問題をめぐって、実にたくさんの意見が様々に登場してくるのが日本の特徴です。これらに対しては、自分の感情や評価はいったん別にして、まず、どの意見はどの立場から出されているかを冷静に検討して整理してみればよいのです。そうすれば客観的に問題がよく見えるてくるようになります。それが訓練なのですが、これによって結構力はついてきます。
■自分の立場
こういう検討、整理の際には、必ず自分自身の立っている立場について自分で点検しておく必要があります。というのは、自分自身もある何らかの立場に立っているはずなのですが、時に、無意識のうちにある偏りをもって流されているのに気づかなかったりすることがあるからです。
■立場の点検
特に、衝突している立場の一方と以前から深い付き合いがあるとか、好き嫌いがかなり混ざっているとか、利害関係が強く前提にあったりするとか。そういうかかわりが前もってありますと、最初からすでに主観的な偏りを自分では気づかずにおかしてしまっていることがよくあります。こうなると問題や事態の客観的な把握などおぼつかなくなります。だから、自分自身の「立場の点検(検査)」はかなり重要な意味をもっているわけです。これも日常的に習慣づける必要があります。
6章-4 確定的要素から出発して考える習慣をつくろう
■H社の例
M氏はあるレジャーの設備をメンテナンスする装置を開発し、試作品をつくりました。Hさんの会社は、当レジャー業界に別の関係の品物を売っているのですが、その新しいメンテナンス装置をうまく併用してもっていくようにすると、自分の商売がぐんと有利に展開されそうな見通しと計画が立って来ました。そこでH社はM氏と提携して、ぜひその新しい装置の製造販売も業務に加えていこうという進展ぐあいになってきたのです。
■長い議論になったら
ところが、M氏について評判の悪い情報が少しばかり入ってきたので、若干調査をしてみたら、確かにM氏の人物については信用できないと思えそうないくつかの事実材料が出てきました。ここで、Hさんの会社の人達の間では、「そんなあぶなっかしい人物の関連に手を出すべきではない」という意見と、「これはこれからの発展のためには強力に役立つ装置商品になるから、これを見逃すのはもったいない」という意見がぶつかって長々と議論をする羽目になってしまいました。
■議論の中心点は
そこでらちがあかなくなったので、いったん議論は打ち切って、あとで脳力開発のアドバイスを受けながらその議論をもう一度客観的に整理してみました。互いの主張は、それぞれ自分の意見が正しい言うために、たくさんの枝葉をつけているものですから、一見混乱したような感じになっていましたが、実はだらだらと決着がつかない争点は、M氏の人物的信用という点にあったのです。そして、その新しい装置が商品として見た場合になかなかよいし、また自分たちの商売の発展に有効に使えそうだ、という点では対立していなかったのでした。
■議論しても確定できぬもの
ここで、M氏の信用の問題と、彼によってうまれるかも知れないマイナス効果の可能性については、これ以上いくら議論してもそれによって確実になったり、あるいは事態が反転したりするわけではないのです。話し合いによってこれ以上確定できないような性質の要素は、たとえそれ以上どんなに話し合いに時間や精力を投入しようとも、どんなに大勢の人間が努力を払って話し合おうとも、やっぱり確定できません。当然の話です。つまり、これは「確定的でない要素」として扱うべきであって、「確定的要素」とは区別しなければなりません。
■両者の区別が重要
脳の使い方として大変重要な土台習慣のひとつは、このように「確定的要素」と「確定的でない要素」とを区別し、そしていつでも「確定的要素」から出発して考えることです。今の場合、確定的要素は、その新しい開発品の試作品がちゃんとできあがってそこにあるということ、そして、開発品が商品としてものになる条件を備えているということ、それを使って新しい商売展開を有効に組みたてることができるということ、というあたりの点で、そのほかは確定的でない要素です。確定的でない要素は、もっと調べたり、あるいは実際にやってみないと確定的にはなりません。これはいくらあれこれ考えようと、話し合おうと、激しい議論をしようと客観的に確定する方へは変わらないのです。
■リスクを少なくしてやってみよ
だから今の場合、M氏中心に考えるのではなく品物中心に考えるべきです。そしてM氏に関する確定的でない部分については、将来の対処計画をきちっと確立できれば、新しい計画の意志確定はできるわけです。つまり、M氏によって将来うまれるかも知れないマイナスの可能性に対して、あらかじめ対応した手当てと準備ができるかどうか検討します。それができるならば、なるべく危険負担(リスク)を少なくするような計画手順をたて、それに従って行動をまずスタートしてみればよいわけです。
■処理スピードがはやまる
Hさんの会社では結局そういうふうに結論して、一応スタートすることにしましたが、前述のように思考を整理しなおしてから後は、その処理と展開のスピードがとてもはやくなりました。そして、この新しい計画は、基本的には成功の結果に導かれました。
■確定的要素にもとづかないと失敗する
「確定的要素」から出発すべし、というのは特に正しい判断、的確な対処といったものを行えるかどうかの、ひとつのかなめであります。確定的でない要素にもとづいていますと、まずもって、判断にしろ、実際の行動にしろ、そして気分状態にしろ、よい結果にならないのです。それでは「確定的でない要素」とは何か、それを少々検討しておく必要があるでしょう。
■憶測にもとづくと
まずその典型は「憶測」といわれるものです。憶測というのは、気分や感情をベースにして身勝手な想定や推論をすることです。だから客観的、科学的な根拠も乏しく、実際面に少しも合わない結果になっていきます。これは世の中にたいへん多い習慣で、まちがいのもとです。
■印象のままだと
次に、「印象」を感覚的、気分的なままでふくらませたものも「確定的でない要素」の典型です。何であれ、まず印象から出発するのですが、そのあと、ちゃんと冷静に科学的に、そして客観的に思考整理してはじめて、正しい認識や的確な判断につながっていけるわけです。
■仮定は区別する
「仮定」というのも「確定できない要素」のひとつです。「もし、あの時そうしていれば今ごろは」「もし今大金をもっていればなぁ」といった仮定は、文法でいう仮定法ですが、これはぐちにしかなりません。百害あって一利なしです。普通にやるように、仮定や仮説をたてて、あとで推論や確認をしていくといったやり方は科学的思考として欠かすことができません。しかし、「確定的要素」とは区別しておく必要があります。
■自分で勝手に思い込むと
「空想」がたくましくなる余りに、現実との境目がつかなくなる人もよくいますが、これも「確定的でない要素」です。それから「そうにちがいない」とばかり、明確な点検と確認もなく、暗黙のうちに「思い込んだり」「決め込んだり」することがよくありますが、これも確定的でない要素です。「勘違いした」などもこのたぐいです。
■確定的要素とは
それでは「確定的要素」といいますと、要するに「客観的に確実だと言える要素」のことです。その中心になるのは「確定事実」と言われるものです。これは、事実らしい材料の中で、万人が一致して、つまり普遍的に「本当だ、確かだ」と判定できる事実のことをさしています。
■「事実と評価」
ここで、「評価」すなわち「価値判断」というのは、もともと万人共通に判定が一致できる性質のものではないから、「事実」とは全く種類の異なるものなのです。つまり、「確定的でない要素」に入るわけです。
たとえば、Yさんが「X氏は、私から金を借りたまま返そうとしない」「X氏は腹黒い人ですよ」と言ったとしましょう。この場合、Y氏がそう言ったという点は確定事実です。
しかし「金を…」という内容についてはまだ確定事実とは言えません。まちがっているかも知れないのです。こ
こで、「腹黒い人」というのは、実は「評価」の方の種類であって、「事実」の方の種類ではないのです。この辺の、確定、客観、測定、情報の取り扱い、判断の手順やルールなどについては応用編の重要事項に属するものですから、そちらで詳細に説明します。
■いったんはずせ
以上のように、「確定的でない要素」をいったんすべて取り外し、「確定的要素」だけそろえて、そこから出発して考えるという習慣をつくる。それがこの第4項で言おうとしている中心点です。
なお、誤解があるといけませんから付け加えますが、「印象」「仮定」「仮説」「空想」「想像」「評価」などはすべて人間の脳の働きとして欠かせない重要部分なのです。ここではそれを否定しているのではなく、そうした部分と確定事実(および法則)の部分とは区別する必要があるという点について説明しているわけです。
■確定的でない要素と気分
実は、これは「気分」を安定させ、さらにいつも積極的なたくましい状態において、脳力を強力に発揮させていくのに大きな影響のある点なのです。世の中には、確定的でない要素によってやたらと気分を支配されたり、悩んだり困ったりしている人が随分たくさんいます。これなども、この項で言う土台習慣づくりの訓練が進むと随分変更される結果となって、結構たくましい安定した気分状態に変わってきます。
■「よみ」はかなり進歩するが
ここで補足的ですが、重要な点がひとつあります。脳力開発が進んでいくと、誰でもかなりの判断力が増強され、推理や予測などの「高度な測定」の力がついていきます。いわゆる「よみ」や「洞察」の力であります。ところが、こういう力がいくら身に付いてきたとしても、肝心なところの事実材料が足りなければ決して正しい判断やよみなどできはしません。
■「知ったかぶり」は大障害
ここで肝に命ずべきは「わからない事は調べよ」という指針と、「決して、知ったかぶりをするな」という指針であります。「知ったかぶり」や「勝手な決め込み」は脳力開発の大敵なのです。これは、心の根本からみると「見栄」と「怠慢」の2つの障害要素によってうまれる問題ですから、この内部ブレーキをつぶしていく努力も同時に必要なわけです。
6章-5 行動のつながりで、具体的に考える習慣をつくろう
■テレビ討論会の例
あるテレビ討論会の話ですが、「愛国心」をテーマとして若者グループと年配者グループとが、口角泡をとばして激しい議論をやっている番組がありました。
そこでは、ある年配者が「近ごろの若者は愛国心がない」と主張しますと、若者の方の一人が「愛国心などと偉そうに言っている年寄りがうそつきなだけだ」と反論しました。その言葉じりをとらえて、また年配者の別な一人が、「それだから近頃の若い者は社会的正義感が不足してるんだ」と文句をつけました。
そんな具合に、やれ思いやりがない、いや偽善者にすぎん、といった言い合いになっていき、互いの言葉をめぐっては対立し、けんかごしの議論が続いていきました。そのうち、だんだん議論はとんでもない方へそれていって、一体何の話をしているのかわからなくなってしまいました。
■根拠になる中身を問題にする
「愛国心」から始まって、途中「帝国主義」「社会主義」「国家優先論」「情報化社会」といった難しい言葉が盛んに飛び出してきましたが、それをめぐって一生懸命対立している感じなのです。
ところが、不思議なことに、たとえば愛国心があるとかないとか言っているその根拠になるはずの中身がほとんど出てきません。
つまり、愛国心があるとはどういう行動のことをさしているのか、ないというのはどういう行動のことをさしているのか、その中身になる実際の材料が何ら登場してこないわけです。だから口角泡をとばして一生懸命やっているけれども、肝心のテーマに対してはちっとも進展しないし、基本的に交わるところがありません。これではやっている過程から得るプラスも乏しく時間とエネルギーの無駄使いでしょう。
■中身の軸は「具体行動」
こういうふうに抽象的な言葉や概念ばかりならべて頭を使ったつもりになっても、実際には脳力を何ら有意義に使ったことにはなりません。脳力が具体的に真に使われるのは、言葉や概念の中身の方のつながりで考えられた時です。その中身とはつまり、具体的行動が主軸になります。もし、愛国心を問題にするのなら、たとえば、外国の軍隊が日本に来て武器を振り回して日本人を意のままにしようと振る舞ったら、その時はどうするか?その時、その相手のそういう活動を妨げようとするのか、それとも手助けしようとするのか、そういう「行動」で互いに考えてみればよいわけです。
■ひとつひとつ具体的に
たとえば、国民全体の経済力が衰退しかかった時に、ますます衰退させるように行動しようとするのか、それても回復と発展に向くように行動しようというのか。
たとえば、オリンピックか何かで日本と外国とが競争している時に、どっちを強く応援するのか。そのように「愛国心」というテーマにおいても、ひとつひとつの行動の内容で具体的に考えていけば、だいたい議論は交わるし、やっている過程がプラスの意味をもちます。つまり、脳を使ったと言える何らかの成果がうまれるわけです。
■概念はただの名札
言葉や概念というものは、本来、中身をあらわすための表示であり、いわば信号にすぎません。いうなれば、包み紙の方であり、索引や表札の方であって、中身そのものではないのです。だから言葉や概念というものは具体的な中身をちゃんと詰め込んでおかないといくらでも空まわりしてしまいます。また、言葉や概念の力を万能なものとして重視しすぎますと、結局、ただ言葉に流されたり、抽象的なお話しだけで終わってしまったりする結果になるだけです。
■抽象的な訓示は意味がない
前述のT美容室の例ですが、これまではずっと長いこと社員の指導として「我々の仕事は客商売である。もっとお客様に対しては気遣いや思いやりをもたなくてはならない。これが我々の成績につながってくるのである。」といった式の訓示や指導要項の言葉をいつも指導者側が一方的に並べるやり方を続けてきました。それに対して「ハーイ、わかりました」と元気よい返事が帰ってくると、言う方も言われる方もそれで十分ぐらいの扱いですましてきたわけです。
しかし、それによって、その気遣いなり思いやりなりが行為の実施としてさっと実現されたわけではないぞということに、彼らは気がついたのです。つまり、ただ形式的に言っていたにすぎなかったではないか、ということです。
■具体行動をたくさん出し合う
そこでT美容室では、これまでとはやり方をかえて、お客さまに対する気遣いとか、思いやりとか言う時には、皆でその具体的な中身を行動のつながりで検討し合うような討論をすることにしました。
そうしたら、たとえば「雨の日にお客さまの服がぬれていたら、そっとおふきする」「傘をもっていなければ、そっとお貸しするとかタクシーをお呼びするとかする」「シャンプーの最中、お客さまが横になっている時など、美容師が上から声をかけたりすると、すごい圧迫感をお客さまが感ずるからやめよう」そういった平凡な具体例が出て、そのうちのかなりのものがすぐ実行されるようになったのです。
■随分成果が出る
T美容室では、この平凡な土台習慣を固めだしてから、随分とたくさんの改善向上の成果をつみ重ねることができるようになりました。つまり、こういうのが脳を使った成果なのです。こんな当たり前のこととばかにしてはいけません。世の中にはこういう土台の習慣が案外と欠けているのです。これは脳力の問題にほかなりません。
■言葉や概念は重要
誤解を避けるために、次のことを付け加えておきたいと思います。ここでは、概念や抽象化された言葉がわるいとか、意味がないとか、使うべきではないとか言っているのではありません。言葉や概念なしには整理や分析は不可能だし、また簡潔な意志伝達もできません。
ただ、膨大なものをごく短い単語や文に集約してあらわしたものは、一種の表札にすぎないのですから、それをつなぎあわせただけでものを考えたつもりになるのは脳の使い方に関するはなはだしい錯覚であるといっているわけです。行動の内容として誰もが分かるように、誰でも解釈がほぼ共通になるように明らかにし、その内容のつながりで考えてこそはじめて言葉や概念は本来の有効な働きをし、その存在価値を発揮できることになります。
■よく分からないものを振り回すな
やれ資本主義だ、共産主義だ、といったいわゆるイデオロギーなど、本当の中身はちっともよくわかりません。よく分からないものを分かったつもりになって得意顔で言うことはやめるべきです。これは物事の判断を誤まらせたり、実際の行動でマイナスの結果を出したりして、百害あって一利なしです。
■どっちが恥か
人に分からないような難しそうな理屈や言葉を使って、自分でも本当はよく分からないくせに、それで人をけむにまくことで知的水準が高いかのように錯覚してしまうのは、いわゆるインテリのおちいりやすい落とし穴です。
むしろ、こういうのこそ恥ずべき点であって、難しい言葉や理屈を知らないのは少しも恥ではありません。これらのことは、脳力開発における思考方法の土台習慣の問題として、無視できない点なのです。
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