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雷を伴う激しい降雨に灼熱の東京は少しは冷やされたかと期待するも、蒸して余計に暑苦しく感じられた月曜の夕刻。
お盆のためかいつも場所をとっている殺陣団体が一組もなく、比較的のびのびと使えた武道場。エアコンのない空間は相変わらず息苦しく熱射病に細心の注意を払いつつこまめに水分補給しながらの稽古。
結局2時間の稽古中に2リットルの水を飲んで出した。
本日は体験者を交えての稽古会。杖術では新たに旋風(せんぷう)を習い、中学生になり一回り体が大きくなったI君と仕打ち交代しながら打ち合い。
その後、先日講習会でも行った巻き上げからの裏お辞儀潰しを検証するも、相変わらず初動のきっかけが掴めずモヤモヤしっぱなし。
前に動く感覚はすぐに掴めるがそういえば後ろに動く感覚は今まで養ってきていない。
この未知なる感覚はどんなに今までの引き出しをヒックリ返してあがいてみても掴むことができない。
これが人の理解の限界。この限界を知るということがとても大切で、さもないと人は自分の理解できる範囲で理解しわかったつもりになって満足してしまうことになる。
人が一生懸命説明している途中で「あぁあぁ、わかったわかった」とか「なるほど〜、こういうことですね!」と早合点する人というのはわかったつもりの勘違いがほとんどだろう。
わかったつもりになると全く違うように理解したり、理解が不十分なままそれ以上知ろうとしなくなり、すると成長がそこで止まってしまう。
わからないものはわからないとはっきり理解することが大切だ。
おそらくこの裏お辞儀潰しの後方感覚というのは、頭で理解できる程度のことではなく、十分に身体が練られてきた結果として、はじめて理解できるようになることで、つまり理解の次元が異なる類のものだ。
理解の次元が異なるというのはいくら言葉を尽くして説明されたとしてもちんぷんかんぷんであるから、なにかしらステップを踏んで理解できる次元にまで到達しなくてはならない。
そのステップでなにをやると効果的かは今後見極めていかねばならない。
少なくともその次元の感覚はまだ理解することができないと「理解できないことが理解できた」のでステップ(課題解決のための足がかり)もそう遠からず見つかるものと思う。
気を取り直して抜刀術へ。
趺踞(ふきょ)からの抜刀術では新しい発見があった。
趺踞はとにかく座るのが難しい。今までは袴の裾を処理して座り、座ってから趺踞の足にポジションを作り、バランスをとる、ということをしていた。しかし、すっとまっすぐ立った状態から袴の裾を処理せずいきなり趺踞に座る、ということをやってみたところ、驚くことに微動だにせず安定して座ることができた。
参考までに金山先生の動画を掲載しておく。
正直座るのが億劫でたまらなかった趺踞が座るのが楽しくなってきた。
これからの技の開発に進展が期待できる稽古会となった。