「人は他人にはなれない。ただ自分になるだけである。」という言葉で始まる記事に象徴されるが、中心の取り合いは武術でも人生でも奥義に違いない。 やらねばならぬこと、やりたいこと、期待されていることの三領域の重なり=センター(中心)に「やるべきこと」が立ち現れる。 中心の取り合いが奥義とはそういうことでもある。 さて、今日は稽古備忘録はそっちのけでこの路線で行くことにしよう(今そう決めた)。 この路線とはどの路線なのか甚だ疑問で本人にしか理解できないが、つまりは、武術稽古を無理やり実生活や仕事、特に専門分野である経営に活きる実践活学たらしめようとする積極的姿勢である。 上の「ただ自分になるだけ」というのは、成果創出の黄金律である。成果を生むには強みにフォーカスしそれを伸ばすことだ。不足補うのではなく足るを強化する。 抗いようのないデジタル化の流れにうまく乗るためには、強みを見極め強化する。ここで一口にデジタル化と言ってもそれには大きく2つある。デジタル破壊とデジタル革命だ。 デジタル破壊とは、競合でないと思っていたところから突如として競合が現れ既存事業を破壊していく現象のことだ。アマゾンによって多数の小売店や百貨店、スーパーが消えている。ウーバーによって倒産したタクシー会社は数知れず。フィルムはデジカメに席巻され、そのデジカメですら短期間のうちにスマートフォンに市場を奪われた。 デジタル革命とは、上のデジタル破壊に巻き込まれぬよう自ら変革していく現象のことだ。富士フィルムはデジカメに席捲されたカラーフィルム事業からヘルスケア事業へ華麗に転換したし、ゼネラル・エレクトリックは電気機器をはじめとする重工メーカーであったが、今や巨大ソフトウェア会社である。 シリコンバレーで起こる現象は、数年遅れで日本に来ると言われている。デジタル破壊とデジタル革命が怒濤の如く押し寄せてくることは疑いの余地がない。 このよう社会の変換期に、機を捉え、社会に有意義な存在であるために何が大切か。
「明日を実現するための第一歩が昨日を廃棄することである。明日新しいことを行えるようになるための前提は、もはや生産的でないもの、陳腐化したものから自由になることである」前例踏襲と成功体験への執着を捨て去り、絶えず自らを変革し、自分で自分を陳腐化させることによって、常に最先端であり続ける。 ここに臨機応変の一つの解がある。 武術稽古をし続ける理由の一つもここにある。私は反省と改善、つまり進歩発展、成長のために動画を撮り、一部を公開し続けているが、これに対し良くも悪くもたくさんの反響を頂戴する。 それらが肯定的なものであれ否定的なものであれ私にとっては有り難いしどうでも良いといえばどうでも良い。 公開された情報というのはその時点ですでに過去の記録でしかなく、ドラッカーの言葉を借りれば陳腐化した自分である。 公開するタイミングですら恥ずかしいものであるから、1週間も経つと見るのも憚られる。そんなものを見て参考にしてくださるファンの方もいれば、叱咤激励を下さる方もいる。 時が経てば経つほど恥ずかしくなるという感覚は紛れもなく自分自身を陳腐化できている証であるから裏を返せば成長実感とも言える。 これは実生活や仕事をしているだけではなかなか実感することはできない。だからこそ武術稽古をし続ける理由にもなっている。P.F.ドラッカー
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